| Mr.Bassmanのためにvol.1 |
〜しったかぶりミキモトの熱湯音楽談義〜
| 1.ベースマンズハイ
3.LIVE 6.ベックというバンド |
| C私見「フィッシュマンズ−『空中キャンプ』について−」 |
最近、日本の歌の画一化が進むばかりです。僕はそんな状況を憂いているわけではないです。なぜ なら、フィッシュマンズのようなバンドが存在するか ら・・・。 「みんなが夢中になって暮らしていれば…ほらね…」 みんなが夢中になって暮らしているさ… 別になんでもいいのさ…アハハ そんなカンジで…いい。 (略) 彼女のことだけをよく知って…。 アルバム『空中キャンプ/フィッシュマンズ』より フィッシュマンズの音楽の内向性は時に双方向に作用する。(いきなりですが・・・)双方向とはここで は便宜的にポジティブとネガティブと定義する。簡 単に言うと、悲しい時にはフィッシュマンズの音楽は悲しい気持ちを増幅させながら、一方で、また減少させる作用を及ぼす。嬉しい時も同じである。その要因は上記のような詩とその曲調にある。 みんなが夢中になって暮らしていれば… 別になんでもいいのさ…アハハ 彼女のことだけをよくしって、そして、いつだって夢の中まで追いかけてくる。 曲調は実際に聞いてもらうしかないだが、歌詞はここでも見てもらえるだろう。 フィッシュマンズの音楽の特徴はまさにそのアンビバレントなところにあると僕は思う。そのアンビバレ ントな要素がそれぞれを打ち消し合い聴者を元の 場所(中立な場所、その中間点)に導くのだ。そこにはいつもある種の諦観がある。まるで芭蕉の句のように、静かだ。実際、曲も静けさが漂う下を川が流れるようにして、ドラムスとベースが一定のリズムとラインを鳴らし続ける。 ただ一言気持ちが良い。しかし、時折、耳につく言葉がその上を流れるのだ。 「感情操作と嘘笑い」、「友達も居なくなって…baby's blue」、「 素晴らしくナイスチョイスな瞬間」.etc 僕は彼らをロックだと決め付ける。 「音楽は何のために鳴り響きゃいいの?こんなに静かな世界なのに・・・」 ロックです。誰が何と言おうと。 今日のベースなアルバム はもちろんこちら、
フィッシュマンズ「空中キャンプ」です。このリズム体は凄いと思います。理屈抜きで巧いとしかいいようがないです。ちょっとこれは口では形容しがたいです。独特のウネリ、独特のダイナニズム。生ドラムの良さというのはこういうことです。どんなにシンプルでも、この高揚感は機械じゃでません。 ジャンルはどういうのでしょうか?わかんないです。でも最近は結構こういうカンジの音楽が増えているようです。いわゆるフィッシュマンズタイプのバンドといえば、CD屋さんの人にいえば通じるはずです。そのくらいこういう音楽が確立していったのもフィッシュマンズが頑張ったからでしょう。ああ、日本の音楽も捨てたもんじゃない。まぁ一度聞いてください。気持ちいいから。そんなカンジの一品。 あぁチャー!(ブルースリーばりの雄叫び) |
| 3「LIVE」 |
| 奇声と嬌声(男の)の中でLIVEが進行する。僕は自分自身のベース音にFUCKされてCREAM
ONしそうになる。 偉大な先人たちがロックを作り上げてきた過程が僕をステージの上で、今まさにCREAME ONさせようとしているのだ。まさに歴史的時間を乗り越えるFUCKなのDEATH。 かつてミック・ジャガーが言った。 『ロックは進歩しないんだ、変化し続けるんだ』 そう、ロックは進歩しない。曳いては寄せる波のように、いつまでも繰り返される永久運動なのdeath。ああ、音楽は『循環』する。耳から入ったそれは血管の中に入り、頭を冒した後、次は身体全体を冒そうとするのDEATH。 ステージの上で僕は時々blackoutする。いやwhiteoutと言った方が近いかもしれない。数秒毎に自分自身が分からなくなっていく。真っ白になる。ぶっ飛ぶ。自分自身をlostする。それが激しい音圧によるものか、それとも激しい運動によるものかはわからない。ウネリの中に飲み込まれるようにして自身が消える。気がついた時、僕の中で「オー」だとか「イヤぁぁぁ」だとか訳の分からない声が耳の中でこだましている。それが自分自身の声だと気付くのにしばらくかかる。汗が眉を越えて目に流れ込む。照明がぼやける。観客がグニャグニャと揺れている。 僕はふと思う。「気持ちいい」と。 注:)これはノンフイクションで、実体験にまつわる記述です。あしからず。「death」は「です」です。なんとなくです。 ![]() 今回のベースなアルバムは上記の馬鹿な文章とは全く関係ない「STEELY DAN」の『彩・エイジャ(aja)』です。 まずはこのアルバムのジャケットが日本のトップフォトグラファー藤井秀樹(僕は知らないけど、ライナーノーツにそう書いてある)によるものだということに注目です。アルバムの内容どおり70年末から80年初めのかっこ良さがなんとなくわかります(ヨウジヤマモトみたいなカンジ)。 とまぁ、とにかく何から何まで渋すぎロックで、かっこ良すぎアルバム。分かりやすく言うと渋いポップロックです(?)。 スティーリーダンといえば毎回アルバムごと、曲ごとにあちこちの一流ミュージシャンを呼び寄せて、それぞれに同じ曲を弾かせて良いほうを取ったりする、贅沢でワガママな奴等で有名。しかし、それだけあって、いつも完璧な出来上がりで皆の期待を見事に越えてみせる、嫌みなほどに合理的な二人組。このアルバムでは主にdr.スティーヴ・ガット、b.チャックレイニーがフューチャーされています。実に完璧。「当然!」とほくそえむ二人の顔が浮かびます。 でも、彼らの不思議なところはそれだけ人を入れ替えていながら絶対に「スティーリーダン」の音楽は変わらないところです。これはよく考えてみるとすごいことだと僕は思います。 とまぁ、彼らの紹介はこれくらいにして・・・。このアルバムはアルバムとして聞くアルバムです。 スティーリダンを聞くならやっぱりベスト版のほうがよろしいと僕は思うんですけどベースなアルバムということでこのリズム体が完璧なアルバムを紹介しました。僕はよく手持ちぶさたな時にこれを聞いてしまいます。理由はなんとなくアンニュイなカンジになれるから。 最後の曲『JOSIE』は出だしのギターから最高(有名)歌詞も最高です。 ジョージーはもっぱらの喧嘩好き 決して「ノー」とは言わないで 戦いのリンゴを齧り続ける 戦いのリンゴ?意味は分からんけども凄いぜ!クール!これを見て買っちゃおうかなぁと思う方、スティーリー・ダン初めての方は「aja」ではなくベスト版『REMASTERED・THE BEST OFSTEELY DAN THEN AND NOW』をオススメします。これは持っていて確実なまさにベスト・オブ・ベストです。たたみかけるように次から次へときます。「ハイチ式離婚」「菩薩」「滅び行く英雄」「バビロンシスターズ」など理由は知らんけどアジアなテイストを含んだ摩訶不思議な曲名の名曲(キョクメイのメイキョク)が盛りだくさんです(歌詞も難解)。とにかく贅沢です。70年後半から80年代の渋さが味わえます。ちょっと大人向けの一品。 MCAビクターより。 『REMASTERED・THE BEST OF STEELY DAN THEN AND NOW』 |
| 2「バスフィッシング?」 |
最近(というよりも、ここ何年か)、Bassfishingの流行が釣りの世界で続いているようです。 僕のように釣りをヤラナイ人間(小学校の時は頻繁に釣りをした)にとって、釣りの魅力がいまいち分からないように、ベースを弾かない人間の多くはベースの魅力を知りません(決めつけます。知らないんです!)。 最初はバスフィッシングも誰も見向きもしない釣りの一分野に過ぎなかったに違いありません。僕なんかは食意地が貼っているので、食べられない魚を釣ってどうすんだよぉ!といいたくなります。 そんなただの流行に過ぎなかったバスフィッシングがここ何年かで急速に巷に普及され始めました。ついには「BASSfishing」などという雑誌が発刊される始末です。 僕は言いたい。「非常に紛らわしい」と。 僕たちベースマンにとって「月刊BASSMAGAGINE」以外の雑誌にBassという大文字が踊っている表紙は考えられなかったのです。しかし、昨今はその伝説は幕を閉じ、BASSの文字がデカデカと踊っている雑誌が数誌本屋に並ぶようになったのです。 これには参りました。つい手にとってしまうこと数度、未だに、気を入れて本屋を歩いていない時など間違えて手にとってしまうのです。 関東ではどうだか知りませんが、関西ではbassfishing専門のテレビ番組まで深夜などに放送される有り様です。それがなかなか面白かったりするのがまた悔しいところです。問題は「ブラックバス」を簡略化して「bass」と綴るところから発生しているのです。日本語が危ないと叫ばれている昨今このような由々しき事態をほっぽりだしておいて良いのでしょうか。僕は納得がいかない。もしかすると事態は深刻で「BASSMAGAGINE」誌にも何らかの被害が報告されているかもしれません(そんなアホな)。うーん、せめてカタカナで「バスフィッシング」と素直に綴ってくれればと、思わないではいられないこの頃でした。 今回のベースなアルバムはスタンリー・クラークの「LIVE 1976−1977」です(epic/sony record)。ジャケットの歯を食いしばっているスタンリー・クラークの横顔を見て頂ければどれだけ凄まじい音楽が詰まっているかは言わずもがなです。ジャンルはフュージョンになるのかな。でもそんなジャンルわけなど意味がないと思えるほどの濃い出来上がりです。僕はライブ版が結構好きなんで、こういうの大好きです。ライブ版好きにお勧めの一品。 |
| 1『ベースマンズハイ』について |
僕がベースという楽器を始めてかれこれ8年くらいになります。 なぜ?ベースを選らんだのか、という質問はベースマンにとって必ず聞かれることであります。そして、いささか、聞き飽きたフレーズでもあります。気分が乗らないときには、このくらい憂鬱な質問もないものです。その質問者が楽器など触ったことのない人の場合、たいていその質問には「どうして、よりにもよってベースなの?」といったニュアンスが含まれていることが多いからです。確かに僕もクラシックやジャズのbassmanの方があの大きなウッドベースを持ち運びしているのを見かけるとそう思わないこともないです。結局は好きなんだから仕方ないじゃん!というのが本当のところなんですが、ごく一般的な人(ナントカチャートトップ10のCDしか買わない人達)にとって、そんな意見はナンセンスとしか見られないようです。そういう人達は次にこう言います。「ギターのほうがかっこいいジャン」。もう少しおくゆかしい人は「ベースって弦が4本のほう?それとも6本のほう?」といった感じでさぐりをいれます。 私達にとってこの手の質問に答えることは大変な労力を必要とします。それはひとえに、ベースの魅力というものが経験した人にしか分からないからと言っていいでしょう。しかし、ここで注意しなければならないのは、「ベースの魅力」と「低音の魅力」全く異なるものであるということです。最近、よく凄い音を出して走っている車があります。あの車外に漏れている音は低い音が強いためにあのような異様な音になるわけです。しかし、どういうわけか、あの音を好む人が多いのです。友達の家にいってもステレオの低音を最高の値に設定していたりします。それとこれとは別なのです。全然、違います。どちらかというと「ベースの魅力の中」に当然、第一条件として「低音の魅力」は含まれているわけです。 では、「ベースの魅力」とはなんでしょうか?ということになるのですが、このへんは人によって詳細が異なってくるので一概には言えません。しかし、おそらく、きっと、ベースマンなら共通して経験したことのある感覚、私はそれを「ベースマンズ・ハイ」と読んでいます。「ランニング・ハイ」という言葉がありますが、「ベースマンズ・ハイ」も少しだけその感覚と似ています。とにかく、その感覚は恐ろしいものです。単なる、「低音が身体に気持ち良い」とかいうことではないのです。あの、ドラムとベースが絡み合う感覚(もちろんドラムがなくとも生じます)、言い換えれば、そう、せり上がる性的欲望の持続といった感じです。よく、ベースはエロチックな楽器だ、なんて言われますが、それは的を得ていると思います。うねるベースなんていう表現が使われますが、間違いなく、それはエロチックな感覚をなんとかあらわそうとした表現です。 ですから、この感覚を知らない人にとっては、また、ベースは地味だという先入観のある人には、ベースがいかに魅力的かを理解させるのは難しいことです。 そんなわけで、僕はいつもそのような質問にこう答えます。 「僕はスケベだから、ベースを選らんだのさ」と、できる限り明るくいうことにしています。 ![]() 今回のベースなアルバムはスーパージャンキーモンキーから「Super Janky Alien」(sony records)です。(オルタナ系ロック?チョッパー、無茶苦茶メタルなギターリフ、パワフルドラミング、L7よりも凄い女性シャウト)女性4人組です。 まずこれが女性の弾くベース音か!というのが誰もが思うところでしょう。ベースマガジンを読まれている方ならルックスも知っておられるでしょうし・・・。見た目はとても普通の女の子な訳です。しかし、この娘とんでもない玉してます。初めて聞いたときは「抱かれてもいい」と思ったくらいです。このバンド自体がなんだか訳がわかんないんだけど、とにかく謝るしかないといった感じです。ジャケットも楳図かずおの「漂流教室」からだし、インパクトの固まりみたいなアルバムです。素晴らしい。僕はこういうの大好きです。でも、きっと一部の人達からは嫌われものだと思います。とにかく、ロック新し好きな人にお勧め。とりあえずうるさいです。でも上手いです。帯には「ダメダメ、これ以上はダメ!」とあります。そんな感じの一品。 注意! このアルバムある程度低音の出るスピーカーで聞かないとあんまり面白くないです。CDウォークマンで聞くと迫力不足でつまんないです。2曲目最高!! |