その起源 シュルレアリスムは第一次大戦後のパリでアンドレ・ブルトン(André
Brton,1896-1966)をリーダーとする20代の若者たち10数名のグループとして出発した。この芸術と思想と生活の革命をめざす運動は、1924年と1930年の二つの『宣言』発表を経て1966年のブルトンの死にいたるまで持続した。
その起源は、1914年から1918年まで続いた大地時世界大戦にまで遡る。このそれまで人類が経験したことのなかった大きな戦争は当時の西欧の若者に文明に対する深刻な懐疑と不信をもたらした。そのせいかシュルレアリスムの創設に関わった者の多くがこの戦争を20歳前後で向かえている。
その運動のリーダーであったブルトンはこの戦争にパリ大医学部在学中の1915年に動因され、東部戦線の精神病センターに配属される。そこでブルトンは戦争が人間の体だけでなく精神まで破壊する事態に直面したのである。このときの体験がその「超現実」の発想に大きな影響を与えた。
さらにこの経験とともにその思想の出発点における影響としてあげられるのが、同い年の青年トリスタン・ツァラとの出会いである。ツァラは、ブルトンが戦争に駆り出されていた1916年二月に突然DADAという意味不明の語を発明し、ダダイズムと称する反芸術・反文学の運動を展開する。
「ダダは何も意味しない」と叫び、一切の価値を無化するこの運動を出現させたツァラの言動はシュルレアリスムの成立に多大な影響を与えたのである。
「ダダは何も意味しない」という宣言が行われたのが1918年である。それはあらゆるものを否定・拒否する言葉であった。しかし、この後、パリでダダは知的娯楽として回収され当初の力を衰退させてゆく。結局、ブルトンとツァラは決別してしまう。その考えの違いは後のブルトンの活動からもわかるように一切の意味を否定してしまうダダとは異なり、ブルトンのシュールレアリスムは、言語から意味を剥ぎ取ってしまうのではなく、時間の秩序を解体することをめざした運動だったのである。
こうしてブルトンは1924年にシュルレアリスム宣言を出すことになる。
それではここで、シュルレアリスムの概念を見ていくことにする。
シュルレアリスムとはなにか
巌谷国士氏はその著作『シュルレアリスムとは何か−超現実的講義』メタローグにおいて日本における「シュール」という言葉が本来の意味とはかけ離れた使い方で使用されていることを指摘しながらシュルレアリスムについての明確な説明を行う。
『新明解国語辞典』の説明
「「シュール」とは「シュールレアリスム」の略で、「写実的な表現を否定し、作者の主観による自由な表象を超現実的に描こうとする芸術上の方針。超現実主義」」
氏はこの説明がまったくの間違いで本来はそれとは正反対の意味であるとまず述べる。
そしてこの定義における間違いは二つあり、まず「写実的な表現を否定し、」という説明が間違いであると指摘する。つまり「写実的な表現」というのはいわゆるレアリスムのことであるが、シュルレアリスム作家のダリの絵画のいくつかはは写実的であるようにシュルレアリスムが必ずしも写実的でないことを指すのではないことを指摘する。そして、さらにもうひとつの間違いは、「作者の主観による自由な表象を描く」の「主観による」というところが間違いであると述べる。そこで巌谷はシュルレアリスムというのは、「オブジェ(objet=客体)」「オブジェクティフ(objectif=客体)」を表に出した思想であり、主観的な幻想というのは、もちろん近代以後の芸術上の領域としてあるが、むしろ主観というものを排して、客観にいたろうとしたのがシュルレアリスムである、と言うのである。
さらには日本の「シュル(sur)」と「レエル(réel)」で切り離した使い方のおかしさを指摘し、その語「シュルレアリスムsurréalism」の説明を行う。つまり「シュルレアリスム」とは、フランス語の「シュル(sur)」という接頭語は日本語で「超」と訳し「超える」「超越」する」というニュアンスになっているが「シュル」という接頭語にはいろいろなニュアンスがあり「過剰」とか「強度」を意味する場合があり、「シュルレアリスム」という語には現実を超越・超脱するだけではなくて、むしろ現実の度合が強いという意味を含んでいる、と説明し、「強度の現実」とか「上位の現実」とか「現実以上の現実」と考えてもよい、と言うのである。
それはちょうどアルフレッド・ジャリの小説「超男性」の「超」の意味合いで、人間とちがうものという意味ではなく、猛烈に男性的な男性こそが「超男性」であるという意味での使われ方であるのと同じである、と説明する。そして、先の国語辞典の「主観による自由な表象を描く芸術上の方針」の「主観」という言葉が入ってくるのは「sur」を「超える」という意味に解釈したことに由来するものであり、むしろ、「シュルレアリスム」とはそういう主観中心の考えかたを否定した運動であって、その拠って立つところは一種の客観主義であるといい、シュルレエルとはむしろ現実のなかにあるもの、現実と連続しているもの、地続きであるものと考えるべきだ、と述べる。
巌谷氏の説明をまとめると次の二つである。
一、シュルレアリスムはレアリスムを超えるという態度とは違うもので、むしろ現実のなかにあるもの。「超現実」はまさに現実に内在している、現実と地続きのものである。
二、主観的な幻想というのは、近代以後の芸術上の領域としてあるが、むしろ主観というものを排して、客観に至ろうとしたのがシュルレアリスムである。
二つの流派(自動書記)
ところで、シュルレアリスムには大きく分けて二つの流派がある。
それはオートマティック(自動書記)の流派とデペイズマンの流派である。
それではオートマティックの流派から見ていく。
オートマチックの流派、具体的には自動書記を行って作品を作り出す流派のことで、原語ではl'écriture
automatiqueであり、オートマティックな書き方、意識的、意図的でない筆記法を意味する。心理学、精神医学上の概念として既にあって、第一次大戦中精神科医の卵であったブルトンはこれを知っていた。ただ、心理学のそれとブルトンのそれは全くの別物であったようである。しかし、その素となったのは、フロイトの診断法つまり自由連想法だったようである。
ブルトンの自動書記は、要するに、書く内容をあらかじめ何も用意しないでおいて、かなりのスピードでどんどん物を書いていくという実験であった。巌谷氏の言うように、ただ筆の滑るにまかせて速く書いていくということが重要だった。ブルトンがこれをやり始めたのが1919年、先に書いたようにブルトンは戦争体験をし、いろんなことに行き詰まっていた頃だった。
自動書記・自動記述というとオートマティックという言葉から人間がオートメーションの機械みたいになることが想像されるが、そもそもエクリチュール(記述・書くこと(行為))が重要なんであって、要するに「書くこと」とは何かと問い掛けるような実験だった。ブルトンがどういう風にそれをしていたかというと、毎日、なにも予定しなでただノートに書いていく、それが次第に速くなる。その繰り返しを行っていた。しかも彼は先に書いたようにこれを一人ではせず、フィリップ・スーポーという詩人と一方が書いているときには、一方がそれを見ているというような共同作業で行ったのだった。
そして、ブルトンは1919年にホテルの一室で不思議な体験をし、上記のような実験を、友人のスーポーとともに実験的に試みることで『磁場』という作品を生み出す。
巌谷氏が言うには、ブルトンが意識してやっていたのは「自動書記」の自動、つまりオートマティックという部分を、ゆっくりしたところからだんだん速くしていって、最後はほとんど記述不可能になるくらいのスピードまで徐々に高めていったり、また、それを逆にしたりして、それぞれの速度でどういう言語構造が産まれるかということを考えていた。
しかし、そんなことをしているうちに精神状態に危機をきたすようになった。で、ちょっと危険な状態(幻覚を見たり、窓から飛び降りたくなったり)に陥ることがあったのでそこで実験を止めることになった。
ブルトンの原稿を見るとその原稿がどのくらいのスピードによって書かれたかがわかるようになっている。それでどういう風に違っているかというと、遅いスピードで書かれたものはje(私)という主語を持っていることが多くて動詞はだいたい過去形、内容は思い出のような内容が多い。これがだんだん速くなってくるとどうも「私」がなくなってくる。最後には特定の人物を示す主語はなくなってしまう。それでフランス語にはon(人々、だれか)という不思議な代名詞があるのが、これが出てきたりする。この代名詞onは不定代名詞といって、なにか服特定の人、そこにいるみんなとか、いると想像される誰か、また、人間一般とか、まさに不定の主語を作るものである。日本語の「みんな」というのもじつは誰を指しているかわからない使い方をする場合があるが、そのような使い方にすこし似ているようなものが出てくる。
それから、次に、時制は過去から、スピードが上がるにつれて、現在形になり、さらには活用しない原形の形で出てくる。そして、そのくらい速くなると、人称を表す代名詞が無くなる。だから、最高スピードで書いたときの文章は名詞と、動詞の原形と形容詞、あとせいぜい前置詞くらいしかない文章というのがあらわれる。巌谷氏が例に挙げる一文は次のようなもので、
「シュザンヌの硬い茎、無用さ、とくにオマール海老の教会つきの風の木の村」
というもので、動詞も主語を表す人称代名詞もない。シュザンヌは名前だが、「シュザンヌの硬い茎」というのだから、人間かどうかもわからない。とにかく、ばらばらに出てきた言葉が前置詞でもって結びついているような文章である。フランス語でいえば、deとかàとかいった前置詞で、そういう簡単な要素で繋がってゆくぶんしょうというのはどんな世界かというと、まさにオブジェの世界である。物だけが脈絡無く繋がって出てくる。
このことを巌谷氏は分析するに、通常文章は過去に起因(過去に体験したことが文章になる)するものだが、自動書記のスピードがあがったものはそうではなく、今考えたこと自体が文章になっているということが起こる。そこにかかれているものは今、自分がやっていること自体なんだといことである。結局、文章を書くということが個人の過去あるいは主観から離れつつあるんじゃないか、と実際に自身でも自動書記を行った巌谷氏は言う。そして、さらに先ほど言ったonという不定代名詞、つまり「だれか」がでてくると、「だれか」が「私」のことを書いてる状態になる。これはまるで神がかり状態、つまり、霊媒が何かにとりつかれて自分のしらない、考えていないことを記述してしまうんじゃないかと、氏は言う。
以上のような事をブルトンは実際行っていたのだが、それを文学理論としてみるとき、筆者はひどく懐疑的にならざるえない。
「フランス文学史(東京大学出版)」には、自動書記の定義として「無意識の深みから噴出してくる言葉とイメージの奔流を、意識的な自我の検閲をへることなくそのまま無作為に定着するという試み」と書かれている(下線筆者)。
自動書記について考察するとき問題はこの下線部がどういうことなのかが重要であると筆者は思う。しかし、この点について多くの研究がなされているが明確な定義をなされるまでに至っていないのが実情である。
というわけで、この拙稿を読んで興味をもたれた方は、実際にブルトンの作品などを読んでいただき、具体的にそれがどのようなものなのか体験していただきたい。シュルレアリスムは以下に示す筆者の考察のからも分かるように理論としては不明確な点が多いもので、その作品自体の不思議な感じ、美しいイメージは実際にそれを鑑賞することでしか分からないと筆者は考える。
************筆者の立場
というわけで、筆者の立場をここに表明しておくと、それはロランバルトの以下のような意見を全面的に支持するものである。
バルトは、その論文『作者の死』において、プルーストの現代性について述べた後、今度はシュルレアリスムについて述べる。
というのも、言語活動は体系であるというのに、この運動が目指したのは、ロマンチックにも、コードの直接的な転覆だったからである――それに、転覆することがそもそも幻想なのである。というのも、コードは破壊できず、ただその≪裏をかく≫ことしか出来ないからである。しかしシュールレアリスムは、予期された意味をとつぜん裏切ることをたえず勧め(これがかの有名なシュールレアリスト的≪不意打ち≫である)、頭脳さえも知らないことを出来るだけ素早くかきとる任務を手に負わせ(これが自動筆記法である)、数人でおこなうエクリチュールの原理と実験をおこなうエクリチュールの原理と実験とを受け入れることによって、「作者」のイメージを非神聖化することに貢献した。
つまり、言語活動の体系、つまり、文法、統語、語彙等、言語学が発見した言語システムのメカニズムを、直接的に転覆(自動書記によって書かれた作品においてはよく文法が無視)されることがシュルレアリスムの特徴なのだが、これを、バトルは上記のようにいささか手厳しく批判したのである。
しかし、当の発明者ブルトン自身も自動書記を万能薬としていたわけではない。1933年の『オートマチックの使命』においては「シュルレアリスムにおける自動記述の歴史は絶えざる失敗の歴史である、と言って私は憚らない」と断言して、自身ネガティブな遊び方としてのオートマチスムそれ自体は何物も生まないことを確認している。
筆者は、確かに自動書記などはバルトの言うように「頭脳さえも知らないことをできるだけ素早く書きとる任務を手に負わせた」非常に実験的で明確に理論といえるものでなかったと考える。
その不明確さは、シュルレアリスムへの批判の多くが先ほど筆者が下線を引いて強調したような部分に依拠している。
それはつまり、「自我ならざるものにとっては自我の制約を知らない無制限の活動を許された特権的な場」を、「待つこと(マックス・エルンスト)」や上記のような「自動書記」によって作り出すという、ランボーの「見者」を見たてたような「自我」の形で、しかしそれはあくまで機械的に、言いかえれば、自律的に、作用させることが出来るという、まさに超自然的な論理によって説明されているところにある。筆者もそれに同意するものである。
*************
しかし、シュルレアリスムの中にもこれとは全く異なる方法によってシュールレエル(超現実)を創出した作家がいたのである。
それが、もう一つの流派デペイズマンの流派である。
二つの流派(デペイズマン)
「自動書記」の方法に拠らないシュルレアリスムの一派はどこに見られるかというとそれは美術にである。それは「自動書記」と同じような方法による「デッサン・オートマティック」ではなく、デュシャン、エルンスト以来広がった「デペイズマン(dépaysement)」の美術にである。
「デペイズマン(dépaysement)」、動詞ならば「デペイゼ(dépayser)」――この場合の「デ(dé)」は分離・剥奪をあらわす接頭語で、「ペイ(pays)」は「国、故郷」という意味なので、ある国から引き離して他の国へ追放するというのが本来の意味で、「デペイズマン(dépaysement)」とは本来の環境から別のところへ移すこと、置きかえること、本来あるべき場所にないものを出会わせて異和を生じさせることを意味する。巌谷氏は日本語で言えば「転置」くらいの意味になると言い、この「デペイズマン」という概念がデュシャンのレディ・メイド(既製品)のオブジェやエルンストのコラージュを説明する、ものであると言う。
この言葉は、もともとブルトンがエルンストの『百頭女』というコラージュ図版に詩のようなキャプションのついた作品の序文で使われたもので、本来あるべき場所から物あるいはイメージを移して、別のところに配置したときに、そこに驚異が生じ、あらゆるものの完全な「デペイズマン」の意志に応じて、「超現実」が得られる、とブルトンは言う。
この「デペイズマン」の発想はシュルレアリズムにおいて自動デッサンよりもっとひろがりをもってしまうことになった。二つの共通点はやはり主観の介入しない、いわゆるオブジェと「デペイズマン」についてもまたオートマティスムの延長上に考えられるようになる。しかし、自動デッサンの流れは途絶えたわけでなくデカルコマニーのような紙にグアッシュなどを塗り、その上に別の紙をかぶせてから手などでおさえ、はがしたあとにあらわれる偶然の形態を作品化するものやアンリ・ミショーのようなメスカリンを服用して描くデッサンなど脈々と続くことになる。
その中でとりあえず(やっぱりこの頁は文学を主に扱うこと趣旨なので)、三人ほど紹介するのは作家は、エルンスト、デュシャン、そして特にルネ・マグリットである(マグリットを筆者は特に好いています)。
巌谷氏も言うようにマグリットの作品には、オートマティックなところはほとんど感じられない。少なくとも自動デッサン的な部分は全くなく、ある意味では計算しつくされており、レアリスムの手法に基づきながらも意外なもの同士が結びついているという状況が、その絵画内で魔術的な力を発揮する。これは反オートマティック的な絵画だが、それでも不思議なことに、かつてブルトンのやった高速度の「自動記述」によって出現した、名詞同士が簡単な前置詞を媒介にして、あるいは無媒介的に併置されてゆく、オブジェたちの世界と良く似ているのである。
マグリットの作品は文学的価値を持っている、とよく言われる。少なくとも文学的であるとはっきりと言われている。その文学性についてはフーコーがマグリットの『これはパイプではない』で解明したものと言えるであろう。ここではその主な特徴、つまり巌谷氏がいうようなシュルレアリスムの「客観」とは少し異なるデペイズマンという概念によって説明されるシュルレアリスム絵画の「客観」について検討したい。
「(マグリットの最高傑作『光の帝国』は)造形的想像力につきまとって離れない主題に対する画家の特徴ある態度のいちばんでている例である。」とペル・ジムフェレ―ルは言う。
ポイントは「造形的想像力」という言葉である。では、そのことについて見るためにマグリットの『光の帝国』という絵について言及することにする。

マルグリット『光の帝国』
『光の帝国』は、マグリットがこの絵の連作を一〇枚は描いたという作品であり、最後の作品は画家の死によって未完に終わっているという晩年のマグリットの精神にとって避けられない主題であったという絵である。この絵についてこの本の作者ペル・ジムフェレールの解説を要約すると以下のようになる。
『光の帝国』はあとの一連の作品でも実質的変形はほとんどほどこされていない。問題の絵には人間もしくは動物、つまり生物はひとつも描きこまれていない。かといって静止画でも動きのない絵でもない。ことに動きは、絵の上方部のかろやかでもやのかかった雲によって喚起されている。ところが鑑賞者の視線が最初にむけられるのはここではない。彼はまず絵の題の光、ひとつまたはいくつかの灯火と一見空家で人気がかんじられない一軒の家の、ひとつまたはいくつかの窓の明かりを見る。人間という要素だけが変わることもなくまた変質不可能である。灯火と窓の数とその配置、この二つの要素がそこにあるという事実、あるいはどちらかひとつ(「光の帝国」のなかで、鑑賞者のほとんどが、まず覚えているのがこの灯火というのはおどろくべきことだが)がないというのが、ひとつの作品の連作を示す構成となる。さらに、いくつかの作品には絵の下方部に、街灯を映している川、運河、池の静かな水面がある。
ここで、「光の帝国」のなかで鑑賞者の注意を一挙に惹きつけ、ひきとめるのは絵が夜の状景だということが理解されよう。絵の上方部を占める白い雲のよぎる明るい青空は、文句なしに日中を表す。この作品が不安な様子をみせているのは、こうした矛盾をはらんでいるからである。物理の初歩的基本原則にてらしてみれば、描かれた場面は現実生活では起こりそうもないことは一目瞭然なマグリットのほかの絵とちがって、「光の帝国」の鑑賞者が感動するのは、私見では基本原則そのものが嘲弄されている点ではなく、絵の上方部の自然光線との対照によって下方部の人工の光線が鑑賞者の眼にとびこんでつくりだす独自の資質のせいである。多くの鑑賞者は、上方の空の明るさが、下方の街灯を、ことにその光が自然に逆らってつくりだす薄明かりをみおとすことによって、そこに描かれた状景が写実的ではないということに気がつかない。
そこでは明りの灯る窓のある家とか街灯の光とかが、造形的立体感をうみだしているため、それらは場面を見る者をして先入観なしに全面的に納得させてしまう。鑑賞者は多かれ少なかれ意識的に問題となっているのが普通の黄昏ではなくて、こんもりとした木々のせいで、暗闇が空の部分より家の部分のほうにひと足先におりてきたと思ってしまう。あるいは――誰も家にいないので、灯をつけるのが早すぎたのだと推測してしまう。この説明のどちらも、実は受け入れられない。なぜなら、家と灯火をつつんでいる暗がりは、自然の暗がりそれも真夜中の暗がりと見なされるからである。鑑賞者に働きかける唯一の力である詩的インパクトは、もともと気象的にみて不自然だという点にあるのではない。家の灯と街灯の明りがくっきりと見える視覚的な特質の反逆、この作品のなかでは――マグリットの詩的想像力のなかでは、本当らしいことに反することとか、その反逆が操作される関係が重要なのではなくて、反逆の結果がうみだす新しい造形的実態が詩的インパクトであることを明らかにしている。
マグリットの代表作『光の帝国』という作品についての評論を見たが、この絵は一見リアリズムの絵に見えてしまいがちである。ただ、筆者はこの評論が一番マグリットの絵すべてに通低する本質をうまく言い表しているのこれを引用したのであって、この絵以外にも、マグリットの作品の本質をピンポイントで表す絵はいつつかある。ただ、ここではそのデペイズマンの手法を使った描写という点でこの絵がもっともその本質を表すものであると考えこれを引用した。
その本質とは、評論の中にあるように、『光の帝国』では真夜中の暗がりの中の家の灯と街灯の灯火と青空との混在が、『日々の泡』では春夏秋冬それぞれの季節にしかありえないものの混在が、現実世界にはありえないものとして表され、ジム・フェレールが言うように、「その反逆の操作される関係が重要なのではなくて、反逆の結果がうみだす新しい造形的実体が詩的インパクトを与えるのである」。
マグリット自身の言葉も非常に興味深い。マグリットは『光の帝国』について次のように書いている。
私にとっては、絵の着想、つまり独創的な考えは、絵の中には見えない。ひとつの独創的な考えは、絵の中には見えない。ひとつの独創的な考えは眼を通した時にだけ見てもらえる。「光の帝国」の絵に表現されているものは、私がその考えを抱いた事物、正確には夜の風景と日中に見ることの出来る空なのです。
これについてペル・ジムフェレールは言う。
マグリットの言葉は単純にみえるが、秘密を解き明かしてくれるものがある。この言葉はわれわれに、レオナルド・ダヴィンチの、絵画は≪精神の産物≫という定義を思い起こさせる。もう少し近い考えとしては、レイモン・リュールの教訓譚≪むかしあるところで、画家が壁にひとりの男の像を描いていました。傍でみていた数人の男が、像を描く時に画家が見せたすばらしい腕前のことで画家をほめそやしました。画家はほめている男たちのひとりに向かってたずねました。”私をほめてくださるのは、私が描いた像を考えだした私の想像力にたいしてですか、それとも私の描いた像のことをほめてくださるのですか”≫レイモン・リュールを、シュールレアリストたちが読むことをすすめた作家のひとりとしたのは偶然のことではない。
つまりマグリットは「絵の中には着想などは見えず、その事物だけが見える。私は見た事物について考え着想を得たが、<着想>、つまり、<独創的な考え>はその絵の中には見えない」と言っているのだ。つまり絵には作者自身がいうように目に見える「事物」しかないのである。それが、『光の帝国』であれば、夜の風景と日中にみることのできる空なのである。
レイモン・リュールの教訓譚も非常に上手くこれを説明している。つまり想像力がその作品の素であるが、想像力は作品の上に表われていない、ということを言っているのである。これは、マグリットの魅力がその優れた想像力にあるのではなく彼の創り出した作品が、ペル・ジルフェレールの言葉で言えば、反逆の結果が生み出す新しい造形的実態が詩的インパクトである(傍点筆者)、ということに繋がる。
この意味で、つまり想像力が作品に表われない創作ということ、その点でマグリットの作品はシュールレアリスムの流派の中に入るのである(画の表面上に現れるのはあくまで画の中で行われた事物の操作でしかない)。つまり、デペイズマンのことである。
*****筆者の意見
しかし、筆者はここで考えるに、シュルレアリスム以外のすべての文学作品はそうではない。というのは文字媒体である文学においては想像力の痕跡の残らない作品などあり得ないのである。このことは非常に重要である。そして、それはシュールレアリスム的「客観」と文学作品の描写の本質を考える上でも役立つだろう。つまり、語と語の繋がりからなる文章によって作られる文学作品はその一語一語に作者の言葉の選択(バルトも言うように)がなされたという痕跡が残る。それの選択の恣意性をブルトンを代表とするシュールレアリスムは自動書記という方法に託したが、シュールレアリスム以外の作家はそこに自らの独自性を託してきたのである。シュールレアリスムの作家はその意味で「自分が書くのではない誰かが書くのだ」と言うのである。つまり、言葉を選ぶ主観により深い恣意性を与えたものがシュールレアリスムであった、とは言えまいか。ただ、その明確な定義がなされていないので「より深い」としか言い様がないのではあるが・・・・・・。
*****
まとめ
というわけでなにやら、マグリットに見る文学論のようになってしまったが、最後にエルンストのコラージュ、デュシャンの『泉』を見て、筆をおきたい。
マルセル・デュシャン『泉』

マックス・エルンスト『踊り子の起原』
フランス語で「こする」ことを意味するフロッタージュ
やコラージュなどはエルンストが新たに発見した技
法である。硬貨の上に紙をのせて、鉛筆でこすりだ
して遊んだことはないだろうか。
エルンストは、木板や葉など日常の様々なものを
こすりだし、組み合わせ加筆して、不思議なイメージを生み出した。
というわけで、短くしていってしまうと要するにシュルレアリスムとはそれまでの私たちが当然と思っていた文脈
(コンテキスト。例えば、少し前問題になってよく聞かれた「史観」という言葉にしても唯物史観という経済的条件に歴史を動かす力を見方と、岸田秀のように、一つの集団の歴史は一人の個人の歴史として説明できるとする精神分析的見方によって、「歴史」の認識は大きく異なる、この場合も「文脈」が違うということができ、それは経済的条件を見方の根本に据えるか、あたかも一人の個人として歴史を見る見方を根本にすえるかで歴史認識は大きく変わってくる、このようなことを筆者は文脈という)
をその見方の条件を転換することであったと考える。それはデュシャンの『泉』という作品を見れば顕著である。つまり、便器を展覧会場という本来便器があるべき場所から移して、それに「泉」と名付ければ、それがもはや便器ではなく、便器ではないなにか、つまりオブジェ(モノ)としての本質が表れてくるというものである。絵画、オブジェ、言語という媒体の種類に関わらず、シュルレアリスムの本質とはそのようなものであったのである。
最後の最後にシュルレアリスムを語る時必ず立ち戻って、引き合いに出されるロートレアモンの『マルドロールの歌』の言葉を引用したい。
Beau comme la rencontre fortuite
sur une table dissection d'une machine à
coudre et d'un parapluie.
(手術台の上でのミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい)
この表現は16歳のイギリス少年マーヴィンを形容して用いられた表現である。なんとまぁ、不思議で、普通でなく、にもかかわらず「ふーん」とならないでもない表現でしょうか。
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