ジャン・ポール・サルトル/JEAN‐PAUL SARTRE(1905−1980)
(簡易版−文学面抜きのサルトル概略)
実存主義哲学者・文学者・劇作家。 |
●サルトルの生涯 ジャン−ポール・サルトルは、フランスのパリに生まれ、パリの文化に大きく貢献しました。読みやすくて人気のある哲学著作を残しただけでなく、彼は劇作、小説、政治評論、文学評論などの分野などでも多くの業績を残しました。 彼はパリのエコール・ノルマル(高等師範学院)で哲学を学びました。ここで、後に代表的な実存主義哲学者でフェミニスト(女性解放論者)の作家となるシモーヌ・ド・ボーヴォワールとの生涯にわたる愛情が芽生えました。 1931年、サルトルはル・アーブルで哲学教師になりますが、この仕事は彼に向いていませんでした。1937年パリに帰り、ル・アーブルでの体験を基にした哲学的小説『嘔吐』を出版しました。 第二次世界大戦が勃発すると、彼はフランス軍に加わりました。1940年にドイツ軍の捕虜となり、一年抑留された後、占領下のフランスに戻りました。パリに帰ったサルトルは、フランスの抵抗運動に協力しました。こうした戦争体験は、彼の関心を学問としての哲学から、人間の状況の問題としての哲学に向けさせました。1943年に大作『存在と無』が刊行され、1945年には『実存主義とは何か?――それはヒューマニズムである――』がそれに続き、ともに瞬く間に広く読まれるようになりました。 戦争が終わると、サルトルはボーヴォワールらと政治・文学誌『現代』を創刊しました。政治的発言が増加し、マルクス主義に接近し、ベトナム戦争へのアメリカの介入に強い反対の声をあげました。1964年にはノーベル文学賞の授与が決まりましたが、彼は受賞を拒否しました。晩年になるとサルトルの政治的、哲学的主張はかつてほどの人気を失いましたが、彼は受賞を拒否しました。晩年になるとサルトルの政治的、哲学的主張はかつてほどの人気を失いましたが、それでも彼は尊敬され続け、1980年に死んだ時には、五万人以上の人々が葬儀に参列しました。 ●サルトルの思想 サルトルは、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976)から強い影響を受けました。そのハイデガーはキルケゴールの影響を受けています。3人とも「実存」哲学者といわれます。 サルトルは、「実存主義はヒューマニズムである」と言いました。それは実存主義者は人間の存在それ自体を出発点にする、という意味です。しかしサルトルのいうヒューマニズムは、ルネサンスのヒューマニズム(人文主義)よりはるかに殺風景な人間観にたっています。サルトルの立場は、無神論的実存主義というべきものでしょう。彼の哲学は、「神は死んだ」時代の人間の状況を容赦なく分析するものです。「神は死んだ」とは、ドイツの哲学者フリートリヒ・ニーチェ(1844-1900)の言葉です。
サルトルによれば、人間の存在は、その人がなんであるかということよりも先だっています。私がなんであるかより、私が実存する事実が優先するのです。「実存は本質に先立つ」のです。しかしサルトルは、人間にはそうした生まれつきの「特性」はないとかんがえました。だから、人間は自分で自分を作り上げなければなりません。人間には特性や「本質」は前もって備わってはおらず、それらを自分で創造しなければなりません。 哲学の歴史を通して、これまで哲学者は、人間とは何か、人間の本性とは何かを見出そうとしてきました。しかしサルトルは、人間はそのような、あてになる永遠の「本質」など持たないと考えました。だから、生きること一般の意味を探ってもなんにもなりません。一時の間に合わせだと非難されるのがおちでしょう。我々は、セリフも覚えず、台本も、何をしたらよいか耳打ちしてくれるプロンプタもなしに舞台に引きずりだされた役者のようなものです。我々は皆、どう生きるかを自分で決めなければならないのです。 不実への逃避 自分は今は生きているけれど、いつかは死ぬのだということ、そして人生にはすがるべき意味はないということを悟った時、人々は不安に陥るものだ、とサルトルはいっています。不安、あるいは恐怖感は、キルケゴールの実存状況における人間観の特徴でもありました。 サルトルは、意味のない世界というものに、人は疎遠な感情を抱くといいました。人間のこの疎外感への言及には、ヘーゲルとマルクスの中心思想の影響が感じられます。人間が世界に対して疎外感を抱くことから、絶望、倦怠、吐き気、不条理といった感情が生まれてきます。 生には何も意味がないとはいえ、サルトルは、そこにはいぜんとして人間の自由があり、人間はそれに向かい合うべきだと信じていました。「人間は自由であるべく宣言されている」と彼はかいています。「なぜなら、人間は自分で自分を作り上げたのではないのにもかかわらず自由だからである。ひとたび世界に投げ込まれたからには、人は自分の行為のすべてに責任を負わなければならないからである」。自己意識を持つ存在として、我々はその生をどう生きるか、選ばなければなりません。そして、我々のその選択は、合理性とは関係ありません。 フランスのもうひとりの偉大な実存哲学者で、サルトルの友人のモーリス・メルロポンティは、理性は決定の後に生まれる、といっています。サルトル自身は、我々が下す選択の決定には、合理性は期待できないと主張しました。生とは選択によって成り立ちますが、その選択をするのに、常にふさわしい理性をもっているわけではないのです。 サルトルは、この「選択の自由」は、我々が背負うべき重荷であり、かつ理解し、受け入れなければならないものと考えました。多くの人々にとって、それは難しいことです。人はしばしば自由の重荷にたじろいで、知的欺瞞つまり「不実」の状況に陥ってしまいます。自分には選択の自由がないという考えに逃げ込む、ということです。人が「私はちょうど私の仕事をしているところです」と言ったとすれば、それは「自分の仕事」のせいにして自分自身の選択を避けているので、「不実」の罪を犯したことになります。このようにして選択の自由を否認したら、その人は「対自」存在ではなく、「即時」存在でしかなくなってしまいます。こうして無名の大衆へと潜り込んだ人は、自分自身が自己欺瞞へ逃げ込んだ、人格のないメンバー以外のなにものでもなくなります。これと反対に、自由は「真正に」、「真実」に生きることによって、我々が我々自信の中に何かを作り出さずにおかなくさせるのです。
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