ゲストブック(4月から8月分)

ご意見ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。

過去のページへ ホームへ

 

コメント:

予想以上にいろんな人が来てくれました。うーん。こうやって改めて読み返すと感慨深いものがあります。9月からもどうぞ宜しくお願いします。

管理人ミキモト拝

 


ようこ - 98/08/20 13:48:31
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Broadway/6005
電子メールアドレス:s2196506@swu.ac.jp
コメント:
すいません先ほどの私のHPアドレス間違えてしまいました。もう一度書き込みさせてください・・・。



ようこ - 98/08/20 13:43:15
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Broadw
電子メールアドレス:s2196506@swu.ac.jp
from to: 小説
コメント:
三木本さんはじめまして。入谷さんのページからきました。小説「まいご」読みました。文章の表現の仕方が素敵ですね。また読みたいです。私もジオにHPあります。拙いページですがよかったら遊びに来てください。新潟の方言のページもあります。



ぴっけん - 98/08/19 07:02:26
ホームページアドレス:http://www2s.biglobe.ne.jp/~kis2/
電子メールアドレス:kis@mxi.meshnet.or.jp
コメント:
こんちわ・・・だけでもいいんですよね。(笑) 一週間ほど田舎に帰省していたもんで遅くなってしまいましたが、先程連結作業を完了いたしました。ご覧いただくと分かりますが、全てのリンクページの紹介文を編集中でして(ほんとか?^^;)、現在は紹介文がありません。早いうちに何とかしようと思ってはいますが・・・。一応URLの確認をしてみて下さいね。『お友達リンク』の【います篇】です。 あ、それからリンクありがとうございました。しかも「すげぇ」紹介文までつけていただいて、恐れ縮まっているところです。(笑) では今後ともよろしくお願いたします。今から12日ぶりに出勤です。あー、気が重い・・・。(^_^;)



入谷芳彰 - 98/08/18 14:19:29
ホームページアドレス:http://www1.nisiq.net/~tanakahi/index.html
from to: 日記
コメント:
 久しぶりにここに書き込みます。 カウンタ300をGetしたのでご挨拶を...  このところアクセス好調ですね。よかった、よかった。 今後とも頑張ってください。「まいご」とてもよかった。新作が早く読みたいです。  ついでに宣伝ですが、今度僕のところにも掲示板を拵えました。ノンキな雑談の場にしたいと思っています。 もしよければなにか書き込んでみて下さい。  それでは、また。



管理人ミキモト - 98/08/17 01:12:00
from to: とわさんへ
コメント:

届くというのはメールじゃないですよね。このゲストブックは更新ボタンを押さないと駄目みたいです。ゲストブックのコメントは見ての通り正常に届いています。
漱石の書簡は読んだことないです。僕はそんなに漱石について詳しくはないです。好きなことは好きですけどね。そうそう、この間、手塚治虫文化賞をとった「坊ちゃんの時代」全五巻:谷口ジロー、関川夏央の漫画はとっても面白かったです。漱石の食い意地のはったところとか・・・そういう実生活のところから日本の明治という時代が漱石や秋水や啄木、その他の人物によってホントに3時間くらいで楽しみながら分かった気にしてくれる素晴らしい本です。
「解釈なんていちいち気にしないが一番ですよ」というのが僕の本音です。全然言ってることがバラバラですが、いちいちこれはこうなんだとかやってたらキリないですからね。まずはおもしろいのが一番ですね。僕はそういうややこしいことは追々考たくなったら考えればいいというダラケタ考えでいます。今後ともヨロシクどうぞ。



とわ - 98/08/16 01:34:55
コメント:
 今度は、届いてますか?正確な文章は、憶えていないのですが、今回のものと、同じような内容でした。 自分の書いたものを、相手以外の人に読まれるというのは、けっこう恥ずかしいものですね。 前回拝見したのは、予想なさった通り、“まいご”です。ミキモトさんは、漱石の書簡をご覧になりましたか?小説と同じように、彼の文章には、なぜか、心がひかれます。



とわ - 98/08/16 01:24:15
コメント:
 お元気ですか?お返事ありがとう。 ミキモトさんの文章は、私が大切にしたいところに、何か同じものを感じるので、とても嬉しいです。関係ない事ですが、私も大阪出身で1975年生まれです。 私は、小説が苦手です。いつも、“解釈の多神教”に行き着いてしまうからです。そして、それを楽しむには、無知すぎるからです。けれど私も、漱石の“こころ”に初めて触れた時、感動しました。だから、いつか、私の視点で感じることができると信じています。いつになるか解らないし、午後の授業の眠気覚ましという、不純な動機でページをめくり始めたのではありますがゥB



とわ - 98/08/16 01:22:44
コメント:
 お元気ですか?お返事ありがとう。 ミキモトさんの文章は、私が大切にしたいところに、何か同じものを感じるので、とても嬉しいです。関係ない事ですが、私も大阪出身で1975年生まれです。 私は、小説が苦手です。いつも、“解釈の多神教”に行き着いてしまうからです。そして、それを楽しむには、無知すぎるからです。けれど私も、漱石の“こころ”に初めて触れた時、感動しました。だから、いつか、私の視点で感じることができると信じています。いつになるか解らないし、午後の授業の眠気覚ましという、不純な動機でページをめくり始めたのではありますがゥB



管理人ミキモト - 98/08/14 00:48:35
from to: とわさんへ
コメント:
とわさんへ
「前回のコメント」ということはコメントなさって下さったのですね(TT)すごくすごく嬉しいです。ありがとうございます。すみません。こちらには届いていません。何にしても感謝感激してます。
勝手なお願いですがもし良ければ前回のコメントをお聞きしたいです。ホントに良ければですが・・・。
小説を読んでくれたそうで、ありがとうございます。ウチのサイトは本当にそういうのが少ないのでとても嬉しいです。
僕も夏の玄関が好きです。あの冷やっこさがたまらなく好きです(今も)。
子供時代というのは今から思い返すとワケがわからないことばっかりです。だから子供時代なんだろうけど・・・。今日はどうもありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。ところで「今度こそ」というのは意味深ですね。気になるなぁ・・・。ミキモト拝



管理人みきもと - 98/08/14 00:31:11
from to: とわさんへ
コメント:
「前回のコメント」というのは・・・、もしかしてコメントなさってくださったのですか?すみません。届いてないようです。なんにしても、ありがとうございます。とても、とても喜んでおります(TT)この顔文字くらいに喜んでいます。もしよければ、ホントにもし良ければなんですがもう一度お聞かせくださいませんでしょうか?ホントに少ないんです、このサイト。そういう嬉しいことが・・・(TT)。小説を読んでくださったそうで・・・ありがとうございます。感激してます。「まいご」を読んでくださったのですか?とにかく、うれしいです。子供の頃というのは分かっていても、それが出来なかったりするもんですね。いまさらながらによく思い出したりします。なんかいろいろありますもんね・・・子供時代って・・・。夏の玄関の真っ暗だけどヒヤッコさが僕も好きです(今でも)。ところで「今度こそ」というのは・・・、うーむ、何か、意味深ですねぇ。ありがとうございました。無茶苦茶嬉しいです。今後ともヨロシクお願いします。ミキモト拝



とわ - 98/08/13 18:10:33
コメント:
 前回のコメント、届きませんでしたか?今日は、 “小説”を拝見しました。子供の頃のことを、思い出しました。最初に、まず浮かぶのが、玄関です。暑い夏の午後戸を開けると、中は真っ暗で、通りぬけになった先にある庭が、別世界のように眩しくて、空調機もないのに、ひんやりとした場所で、私は、独りきりになった気がして、“私は、今、自由だ”と思っていました。おませでした。 いつのまにか、知らない自分になってしまった気がします。気付いても、ちゃんと掴んでおかないと、大切なものは、すぐに飛んでいってしまうのですね。私は、自分の自由でいる心を、今度こそ、失いません。 なんだか、おかしなことを書いてしまいました。 



こに太 - 98/08/09 18:20:46
電子メールアドレス:koneys@geocities.co.jp
from to: 全部見たよ!
コメント:
GEO住民専用HP登録ありがとうございます。
掲載済ですのでお暇な時にまた確認がてら遊びにきてください。
変更したいところがでたらメールでもOK!
わたしもGEOリンクからこちらのHPに時々遊びにきます。
はっきり言って私もショックです。221番目でした。
あと一人で222だったのに〜
宣伝してね!
なぜかHPアドレスが入らなかったので↓
ここ!



管理人ミキモト - 98/08/07 10:39:22
コメント:
ああ、ショックです。出かける前にページチェックしたら自分が200番目のお客様だなんて・・・。
なんか嫌、スゴク嫌、普通だったらメールで200番目ゲットとかなんとかいってわざわざ出してくれる人が・・・いないか。



管理人ミキモト - 98/07/29 20:11:08
コメント:
皆さん、気軽にご意見下さい。お待ちしています。コンチワだけでもどうぞ。下の方を見てビビっている人がきっと居られると思いますが・・・。そのへんはぜんぜん気にしないで下さいね。ハハハ。



管理人ミキモト - 98/07/29 20:05:51
コメント:
とくさんへ
PARCO出版「越境するラテンアメリカ」野谷文昭
「ラテンにキスせよ」野谷文昭
です。



とくさん - 98/07/29 00:18:02
from to: ゲストブックのページ
コメント:
 ミキモトサンの読んだラテンアメリカの文学関係の本はどういうものでしょうか。教えていただけたら嬉しいです。ところでその本にはどう書かれていたかわかりませんが、百年の孤独のパロディーというか、マルケスを意識し、それを越えようとして書かれたのが、千年の愉楽だと、私は理解していますので、類似しているというのとはちょっと違うと思います。千年の愉楽というタイトルからして、中上の意気込みがわかります。千年の愉楽よりずっと早く書かれた、大江健三郎の同時代ゲームもまた、大江による百年の孤独であると言ってよいでしょう。中上の千年の愉楽と大江の同時代ゲームは、いわば兄弟のようなものです。もしまだでしたら、読み比べたらより興味深いと思われます。余談ですが、マルケスのマジックリアリズムはサルマン宴Vュディにも受け継がれ、その影響は、真夜中の子供たち、という小説にも濃厚に感じられます。



管理人ミキモト - 98/07/27 20:33:01
コメント:
とくさんへ
ありがとうございます。ぜひ読んでみます。とくさんはその辺の事情にお詳しいですね。僕はあんまりというかほとんど知りません。一番最近ではレポートのためにラテンアメリカ文学について少し読みました。中上健次とガルシア・マルケスの世代・国を超えた類似など、思いもよらなかったことがたくさんあり、とても面白かったです。たまに読むと面白いですね。論文関係の本って・・・。また、書込んでください。お待ちしてます。



とくさん - 98/07/24 23:24:06
from to: ゲストブックを見る
コメント:
  お久しぶりです。  最近、金井美恵子の『小説論』(岩波書店)を読みました。講演を基に書かれたものなので比較的読みやすく、いわゆる、細部を読む、とはどういうことか、あるいは小説を読むとはどういうことかといった問題について、随分と考えさせられました。小説とは何を書いてもいいのだ、だが何を書いてはいけないかも作家は知らなくてないけない、というあたりは、この言葉自体は別に目新しいものではないけれど、実践するのは難しいことです。書くことの倫理というやつです。夏休みに読んでみてください。

 

 

mel - 98/07/22 20:44:05
ホームページアドレス:http://www.webs.to/mel/
コメント:
お久しぶりです。melです。
改行タグの説明をさせてもらった者です。
私のホムペにも、文学の分野を付け足したので、報告に来ました。
あくまでも、「とりあえず」程度ですが、良かったら見に来て下さい。



管理人ミキモト - 98/07/08 22:13:23
コメント:
烽魔vさんへ
ありがとうございます。
改行できるんですね。
タグを使えないと勝手に思い込んでいました。ありがとうございます。また、是非ご意見お願いします。



mel - 98/07/08 03:21:21
ホームページアドレス:http://www.webs.to/mel
from to: 烽魔v
コメント:
ところで、改行は、改行タグ<BR>で、できますよ。



mel - 98/07/08 03:14:17
ホームページアドレス:http://www.webs.to/mel
from to: 烽魔v
コメント:
はじめまして。ここ好きです。嫌いじゃないです。
やっと、ちゃんとした文学のサイトに出会えてうれしいです。これからも、がんばってくださいね。

ところで、私の小説の読み方(解釈の仕方)を書かせて下さい。ぜひ、他の人に聞いてもらいたかったんです。
私の小説の読み方は、単にストーリーを楽しむ事ではなく、作者の意図を理解し、それがどれほど文学的に完成されているか読み取る事です。あるいは、作者の文学的技術が、どれほど、ストーリーを面白くしているか、と言う事です。
ですから、私にとって解釈とは、まず作者の意図を理解する事からはじまります。
そして、その意図がどのくらい文学的にきれいなのか?それが問題になります。
ところで、「作者の意図」という概念はあいまいなので、私なりの「作者の意図」を説明しておきます。
小説を読んでいると、面白いとか、悲しいとか、あるいは不条理、時には混乱等を感じると思います。そして、これが、作者の意図です。
つまり、小説にも、音楽や絵画と同じように、作品の受容者(読者)にある種の感情を喚起させる、基本的なテクニック(技術)があります。この基本的なテクニックと、その作者独自のテクニックの集合とストーリーの結びつきが、私の言う所の「作者の意図」です。
この、作者の意図が、どのくらい完成されているのか?それが、私の解釈です。

なんだか、よく分からない文章ですが、こんな所です。
ほんとは、作者は作者であって、作品ではない、と言う事や、読者としてのあり方など、まだまだ書きたい事はあるのですが、長くなるので、今回はこのくらいにします。
今日、このサイトを見つけて、かなり刺激を受けました。それで、私も、自分のホムペに本格的な文学の要素をアップしたくなりました。
そのうち、アップしたら知らせに来ます。ぜひ来て下さい。

 

 

管理人ミキモト - 98/06/21 23:20:07
コメント:
とくさんへ いつもありがとうございます。 返事が大変遅くなりました。すみません。 最終的解釈とは(これはあくまで僕の基準ですが)人に向かってはっきりと論理的に「zzzがこうだから僕はyyyという解釈をしたんだけど…君はどう?」という具合に口に出して説明できるということを基準としていますが、これは僕の勝手な基準です。「最終的」というのはあくまで便宜上『最終的』と言ったのです。ここでの「最終的」の意味は自分の読んだ小説に結論をつけることです。僕は解釈をこう考えています。例えば、自分の筆箱を他人の筆箱と見分ける時、私の筆箱は『青いビニール製で白いライン』の入った筆箱です、という風に『青いビニール製で白いライン』を目印にして他人の筆箱と差別化します。解釈とは他と差別化を図ることです(僕にとっては)。しかし、解釈とはなんであるかを言い出すとキリがありません。
1・この小説はzzzがポイントでyyyのテーマとxxxでからんで、きっと作者はこういうことを言いたかったんじゃないかな
2・この風景描写はなんて良いんだろう。素晴らしく的確な表現をするなぁ、この人はきっと生涯、この文体をにつめていくんだろうなぁ。しかし、ここの部分は故意に含みのある描写にしているなぁ。いや待てよ。この人って、たしか刑務所に入った経歴があったなぁ。そうかそれでここはこういう言い方をしてるんだぁ。
3・ああ、主人公が死んじゃった。どうしてだろう?どうしてだろう?どうしてだろう?
4・ ……ムムム
5・最高や。ええ話や!グッとくるやん。今日は得した。午後から仕事や。元気でた!
6・クソやな。
7・どうでもいいって感じ。
8…………… という具合です。
自分の考えを持った時点、それがいくら感想めいた、イメージだけのものであっても、解釈は解釈だと思います。 解釈とは人によって全く異なるものです。僕が言いたいのは一つに搾る(選択する)のではなく、(その作品が)読者に解釈することを強いる力を持ち、なおかつ、まとまりのある認識(意味のある言葉で表現できる)を与えるものです。つまり、読者に「これはこういう事なんだ」と思わせる力を持つものが良い作品だと思うのです。とくさんの言う「騙し絵」を『僕はこれが顔だと思う』『いーや僕は花瓶だと思う』、『僕はこれが<顔にも花瓶にも見える「騙し絵」>だと思います』という人がいて、他にもこれ以外にも考え方は幾らもあるだろうな、そうか顔でもなく、花瓶でもなく、騙し絵は騙し絵ですらない。きっとこれは『ただの絵』なんだよ、と思う人もいる。顔や花瓶や、騙し絵だとか言って見ても虎は襖の虎は出てこないんだという結論づける人もいる。僕はどちらかというと<所詮は「一枚の絵」でしかない>といった一休さん的なズルイ考えをしているのかもしれません。
すみません。論点がズレルようなズルイ言い方です…これは。
しかし、僕はそれだって(いろんなものを含むんだけど、全部を含んだ考えではないという解釈)は最後に結論として出た唯一の解釈だと考えます。そもそも、僕たちがしている意見の交換はお互いの『解釈』という言葉の認識の違いからきているものです。これはおそらく永遠に続くでしょう。しかし、きっとどこかに「解釈」という言葉を上手く言い表せる言葉があるはずです(よね)。 僕はどちらかというと解釈云々よりも、その作品が人の想像力(これまた定義しにくい言葉ですが)に訴えかけるかということの方が大切だと思っています。

 

 

とくさん - 98/06/14 00:08:56
コメント:
 レスがたいへん遅くなりました。「小説の答え=作者の真意」というのは私の早とちりだったようです。ミキモトさんのおっしゃりたいことがだんだん分かってきたようです。でもやはり疑問なのは、読者の下す(最終的)解釈とは、例えばどういうものなのでしょうか。また、 なぜそれがたった一つであるべきなんでしょうか。そもそも解釈とはなんなのでしょう。ミキモトさんはどうお考えなのでしょう。見方によって変わる騙し絵」というのがありますよね。たとえば、花瓶だと思えば花瓶に見え、向かい合った二つの顔だと言われればそうも見えるというような。で、僕はこの絵に描かれてるのは花瓶だと思う」と決めるのが、ミキモトサンのいう最終的解釈・・・あるいは違いますか?そもそも小説は解釈するものでしょうか? 言葉尻を捕らえて難癖をつけてるとは思わないでください。今これを書きながらふと思ったのですが、一人の人間を、他人が解釈することが出来ないように、小説も(少なくとも真にすぐれた小説は)「解釈」するものではないのではないでしょうか。むしろ小説とは「体験」するものだという気がします。



管理人ミキモト - 98/05/26 00:37:51
コメント:
いつもありがとうございます。とくさんへ。僕は各読者が最終的解釈として下した判断がすべての答えだと考えます。ですから「作者の真意≒読者の解釈」だと考えています。とくさんの指摘されている「小説の答え=作者の真意」とは少し異なります。僕は作者の真意が一つだとは思っていません。僕が一つだと思うのは読者が下す最終的解釈が一つだと言うことです。ですからたとえ複数の解釈ができるように書かれた小説に解釈するときも解釈自体はたった一つです。つまり、僕は答えは一つといってもたくさんの解釈の中から一つを選びとるわけではないのだと思っているのです。 僕も作者の真意は無数に含まれていると考えます。ただ、それらを僕たちは最終的に一つのものとして理解するのではないのでしょうか。僕はこのようなやり方(解釈を一つ選び取るのではなく、解釈というのはもともと一つのものだと考えるやり方)で小説の多様性をみとめています。僕がいつも恐れているのは、「これはいろんな解釈が可能だなぁー、フーン。さぁ次は何を読もうかなぁ。」といった感じで最後まで考え尽くさずに、作品を読んだような気分になって、自分なりの、そして、自分への回答を導き出すことを辞めてしまうことなのです。ですから、前に言ったように「小説の答えなんて一概に言えないんだ」というようなことが嫌いだ、と言ったのです。僕は今までよく考えずに、そういったことをかいたけれども、そもそも「小説の答え」だとか、「作者の真意」という言い方があまり良くない言い方なんだと今さらながら思っています。



とくさん - 98/05/24 02:21:30
コメント:
  ひとつ確認しておきたいのですが、小説の答え=作者の真意、という意味でよいでしょうか?わたしはあまり考えもせずいいかげんに使ってしまいましたが、もしミキモトさんが作者の真意はひとつであると考えているのなら、わたしは反対です。小説とは、とりあえず作者の”真意”を忘れて読むべきであると思うからです。つまり、作者の真意がどうであれ、それを特権化してはいけないと。作者とは、自分の書いた小説の最初の読者であるに過ぎない。作家の中にはあえてというか方法として、真意とか解釈を拒むように書く人たちがいます。作家自身がいくつもの読みを可能にするように書いているのです。   風景を例にとりましょう。ある美しい風景に出会ったとき、その風景にはどう言う意味があるのだろうかなんて考えませんよね。小説と風景は違うとおっしゃるかもしれませんが、美しい風景をみるのとおなじように、ひたすら美しい言葉の織物としての書物もあってよいのではないでしょうか。  少し脱線しましたけど、作者の真意自体がすでに複数であるとわたしは考えます。作者の真意=AかつBかつYかつZ、ときどきDもしくはEなんてこともあるかと思います。そういう場合には、素直にその解釈の多様性をそれとして受け入れて楽しむのがよい読書というものではないでしょうか。書いている本人が意図的に(あるいは意図しなくても)そんな具合なら、作者の真意は一つ、と決めることなど無意味でしょう。  



管理人ミキモト - 98/05/24 01:07:04
コメント:
(ホームページ上のA=BというのはAが「何で読むんやろう?」でBが「解釈」というつもりで書きました。自分で読んでも訳が分からないです。トホホ。でも、とくさんのいうA=Bはこの意味ではないA=Bですよね。) とくさんへありがとうございます。「小説には答えは幾つもある」。僕もそう思います。ただ、僕が言いたいのは「小説には答えが幾つもある」と「小説には答えがない」、この二つの違いです。「答えがない」というのは「一概に決められない」、つまりA=B、さらにA=C、A=C、A=D、全部考えられるじゃん、全部OKちゃうの?といった考え方(言い方)ですよね。僕はこういう言い方が嫌いです。だから、高校・中学の先生やなんかが「文学には(数学と違って)答えがないから面白いんだ」なんていうけど、僕はそういうのを聞くとつい「そんなことあれへん」「答えはあるんや!」って心の中でツッコミを入れてしまいますね。 というのは、僕は必ず一つ各人(読者一人一人が)が最低一つ、最終的な解釈を持つことができる小説が優れた小説だと考えているからです。どんな人も「最終的解釈」は一つです。学者が論文を書くとき必ず結論は一つだということと同じです。A=B、A=C、A=Dと僕はどれも捨て難いと思う。しかし、僕はA=Cが最終的に良いと思う。という考え方が僕は好きですし、そういう風に読者が勝手に決め付けてしまうのを促すような強い力を持った小説が「良い小説」だと思っています。 だからといって僕が全てにおいて最終的解釈を下しているわけではありません。(そんな奴、いたら怖いですね、凄く自分勝手そうで…)未だに何度読んでもこれはどういったことなんだろうと思うことしばしばな小説のほうが多いです。しかし、それらに僕は何らかの判断を下さなければならないと感じています。そう感じるのはきっとその小説がすぐれているからだと思います。 僕は思うのですが、小説の答えは必ず存在しているのだけれど、その答えの見え方はそれぞれの読者ごとに違う、でも本当は同じものを(読者は皆)見ているんだ、という言い方が一番良いと考えています。式でいうと「A≒B」です。Aは作者の真意、Bは読者の解釈です。ある人はA=B、ある人はA=b、ある人はA=B’と解釈する。でも実は「A≒B≒b≒B’」なんだと僕は思っています。



とくさん - 98/05/22 23:32:54
from to: 文学のページ
コメント:
 みきもとさんは、文学のページの中で、「小説に答えはないなんて嘘だ」と書いていますが、私の考えでは、小説には答えはいくつもある、優れた小説ほど多様な読みを可能にする。A=Bでり、A=Cでもあり、A=Dでもあるという具合に。勿論こんな数式はたとえですが、もし漱石の小説が、A=Bで片付くものなら、こんなに読まれはしていないんじゃないかと思います。いろんな解釈を可能にするからこそ、さまざまな読者に読み継がれているのだと思います。特に最近の漱石研究は面白いです。 とりあえず漱石を例に挙げましたけど、鴎外でも、大江健三郎や中上健次にしてもそうでしょうし、ドストエフスキー、カフカ、プルースト、みなそうでしょう。漱石が優れているのは、「こころ」を書いたからではなく、「吾輩は猫である」も書いたからだ、つまり、同じ人間が、これほどまったく違った小説を書き得たその能力にあるのではないかと思いますが、いかがでしょう?



入谷芳彰 - 98/05/16 02:18:56
ホームページアドレス:http://www1.nisiq.net/~tanakahi/index.html
電子メールアドレス:tanakahi@mx5.nisiq.net
from to: 全部!
コメント:
 大酒を飲んで帰宅したところ、メールを戴いていたので早速訪問させていただきました。 まずは、ホームページ開設おめでとうございます! 数少ないちゃんとした文学青年のサイトとして、今後とも健闘され大成されることをお祈り申し上げます。 ボリス・ヴィアン、面白そうですね、今度読んでみようと思います。それと開いたとたん、「俺のMacがいつのまにかWindowsに!」と焦るコーナーもあって、なかなかでした。中身のほうはコピーしましたので明日にでもゆっくり読ませていただきます。 リンク集の筆頭にあげてもらって恐縮です。しかもあとの二つは有名な巨大サイトなのでいささか肩がすくみました。 また寄らせてもらいます。今後とも頑張ってください!!



管理人みきもと - 98/05/15 20:24:18
コメント:
とくさんへ。僕も嫌いな映画は数限りなくあります。そのなかでも最も頭にきたのは「セブン」です。ブラッド・ピットと「ショーシャンクの空」(うちのオカンの大好きな映画)にも出ていたあのナイスな黒人のおじさんが出ている「セブン」です。なにが嫌いなのかといえば結末があまりに救いがないところです。最近はあのようなちょっと覚めた映画(ファーゴなど)が結構数を動員しているみたいですね。世紀末ですね。



とくさん - 98/05/13 20:37:13
コメント:
 タイトルに誤りがありました。訂正いたします。「漱石論・鏡あるいは夢の書法」です。申し訳ありません。 デュラスはジャン・ジャック・アノーがラマンをくだらない映画にして、しかもそれがヒットしてしまうというとんでもない現象があり、そのせいもあってか、彼女の小説は小説をろくに読めないような学生なんかに結構人気があるようですね。アノーの「愛人」をわたしも見ましたが、くだらないというより、世に害悪を垂れ流すような映画だと感じました。



管理人ミキモト - 98/05/12 19:22:34
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kou
コメント:
ありがとうございます。とくさん。感動です。漱石は好きです。今度ご紹介の本読んでみます。河出書房の本は全体的に好きなんです。装丁が良いですし、僕の好きな作家の本が多いです。デュラスの本があれだけ出せるのは不思議です。ラ・マン以外の本は売れているのでしょうか?



とくさん - 98/05/11 23:46:41
コメント:
 漱石がお好きなようですが、漱石論のたぐいは読まれますか?芳川泰久の「漱石論・夢の処方」(河出書房新社)をお薦めします。スリリングな本です。映画の方ももう一押しして、ジャン・ルノワールとか、あるいはジム・ジャームッシュなんぞは如何?



管理人ミキモト - 98/05/04 06:28:37
コメント:
ぜんぜんコメントがナイッス。ここまでコメントがないと逆にすがすがしい気分ですね。まぁ、嫌われてなんぼじゃい!というのが僕の持ち味ですから・・・。まぁ、コツコツいきましょう。コツコツね。



ふくちゃん - 98/04/29 08:23:53
コメント:
 こんにちは、F式の掲示板からこちらへ遊びに来ました。もしかして初書き込みになるのでしょうか。書き込む際、ホームページアドレスとメールアドレスの記入可能桁数が短くて、入力できませんでした。 非常にいろんな要素のつまったホームページで、どきどきしますね。ボリス・ヴィアンは、『心臓抜き』を数年間積ん読していて、最近『日々の泡』を買ってこれもまた読んでません。ベースは一応一本持ってますが、全然弾けません(^^;。ジャコ・パストリアスのファンです。 小説ですが、「剥ぐ」の方はデータがないようです。もう片方は、後でオフラインでじっくり読ませていただきます。



ホームへ